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最高裁判所第二小法廷 昭和35年(オ)54号 判決 1960年10月07日

上告人 東京国税局長

訴訟代理人 青木義人 外一名

被上告人 鈴や金融株式会社

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告人指定代理人青木義人、同堀内恒雄、同広瀬時江及び上告人訴訟代理人田中勝次郎の上告理由第一点乃至第三点について。

おもうに、商法は、取引社会における利益配当の観念(すなわち、損益計算上の利益を株金額の出資に対し株主に支払う金額)を前提として、この配当が適正に行われるよう各種の法的規制を施しているものと解すべきである(たとえば、いわゆる蛸配当の禁止(商法二九〇条)、株主平等の原則に反する配当の禁止(同法二九三条)等)。そして、所得税法中には、利益配当の概念として、とくに、商法の前提とする、取引社会における利益配当の観念と異なる観念を採用しているものと認むべき規定はないので、所得税法もまた、利益配当の概念として、商法の前提とする利益配当の観念と同一観念を採用しているものと解するのが相当である。従つて、所得税法上の利益配当とは、必ずしも、商法の規定に従つて適法になされたものにかぎらず、商法が規制の対象とし、商法の見地からは不適法とされる配当(たとえば蛸配当、株主平等の原則に反する配当等)の如きも、所得税法上の利益配当のうちに含まれるものと解すべきことは所論のとおりである。しかしながら、原審の確定する事実によれば、本件の株主優待金なるものは、損益計算上利益の有無にかかわらず支払われるものであり株金額の出資に対する利益金として支払われるものとのみは断定し難く、前記取引社会における利益配当と同一性質のものであるとはにわかに認め難いものである。されば右優待金は、所得税法上の雑所得にあたるかどうかはともかく、またその全部もしくは一部が法人所得の計算上益金と認めちれるかどうかの点はともかく、所得税法九条二号にいう利益配当には当らず、従て、被上告人は、これにつき、同法三七条に基く源泉徴収の義務を負わないものと解すべきである。

右と同旨の結論をとる原判決は、結局正当であり、所論は右と異なる独自の見解の下に原判決を攻撃するものであつて、すべて採用のかぎりでない。

よつて、民訴三九六条、三八四条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判官 小谷勝重 藤田八郎 池田克 奥野健一)

上告代理人青木義人、同堀内恒雄、同広瀬時江、同田中勝次郎の上告理由

第一点原判決には、理由不備ないし理由そごの違法がある。

原判決は、「憲法を頂点におく同一法体系の下においては、同一用語は格別の理由がない限り同一の意味に解することを原則とするのであつて、所得税法上右の用語について、商法と異る定義づけをした明文なく所得税法の全般にわたつて考えてみても、右用語を商法と別異に解釈すべき格別の理由は見出されない」との説示を前提に所得税法第九条第一項第二号にいう「利益の配当とは株式会社が決算期において損益勘定の上純利と認定された額の内から法定準備金等を控除した残額を株主総会の決議を経て株主に対してなす配当を指す」ものと判示されている。

この判示は、形式的な文言を尊重し所得税法上の利益の配当とは、商法第二九〇条第一項一号に規定する商法上の適法な利益の配当を意味するものと解しているのであるが、他方、原判決は「法令又は定款所定の手続をかくにしても実体的には手続の不備を補えば利益の配当たる実をそなえている以上その配当利益も所得税法第九条第一項第二号の課税の対象となり得ること勿論であつて、この理は、利得が闇利得のような不法の利得であつても課税の対象となり得るのと同様である」とも判示し、実質的な利益の配当も所得税法上の利益の配当に該ると解している。

原判決のいう「実体的には手続の不備を補えば利益の配当たる実を備えている」ということが、いかなる意味を持つのかは明瞭ではないが、原判決がその理由において一方において形式を重視しながら、他面これを否定するかの如き実質的見解を示されているのは矛盾を犯した理由そごがあるものといわなければならない。

また、原判決は、所得税法第九条第一項第二号にいう利益の配当には、「本件のごとき会社の前記事業内容(6) に示された仕組の下に会社が株主に対して為す優待金の支払いなどは含まれないものといわねばならない。」と判示されているが、本件優待金の支払が、判示の「実体的には手続の不備を補えば利益の配当たる実をそなえている」場合に、何故該らないかの理由が明らかでないので、この点においても理由不備のそしりを免れないと信ずる。

第二点原判決には所得税法第九条第一項第二号にいう「法人から受ける利益の配当」の解釈およびその適用を誤つた違法がある。

一、原判決は所得税法第九条第一項「第二号にいう利益の配当とは株式会社が決算期において損益勘定の上純利と認定された額の内から法定準備金等を控除した残額を株主総会の決議を経て株主に対してなす配当を指」すものと解している。すなわち、原判決は、商法上の要件を具備した適法な利益の配当のみを所得税法上の利益の配当に該るとされたのであるが、かかる見解の誤りであることは、そのような見解をとると、法人の操作によつて容易に所得税の源泉課税を免れるにいたることを考えただけで明白であろう。

原判決は、「利益の配当という」用語を商法と税法とで別異に解釈すべき格別の理由は見出されないとされた上で、商法上適法な利益の配当のみが税法上の「利益の配当」であるとされたのであるが、商法自身も決して違法配当は配当にあらずとはしていない。このことは、商法第二六六条第一項、第二九〇条第二項、第四八九条第三号の規定からして明白である。すなわち、商法が、「違法に配当せられたる額」、「前項の規定に違反して配当を為したるとき」といい、また、「法令又は定款の規定に違反して利益又は利息の配当を為したるとき」といつているのは、利益の配当の概念を実質的に予定していることを示しでいるものであつて、違法配当は配当でないというならば、遂に違法配当というものはあり得ないことになるであろう。されば、この点からみても違法配当は配当にあらずとされた原判決の誤りは明らかである。

商法自身が「利益の配当」の概念を実質的に予定しているのであることを前に述べたが、しからば、商法の予定する利益の配当とはいかなるものであろうか。

株式会社は、企業活動によつて利益を収め、これを資本主たる株主に分配することを目的とするものであるから、株主が利益配当を受けるということは、株式会社において本質的なものであり、しかして、株式会社が株式を発行し、これを株主たらんとする者に引受けさせ払込を受けるということは、企業活動のための資本を社内に求めたものであつて、社外から資金を求める借入金等と区別されなければならない。されば、会社が、株主に対してその出資に対する対価として会社の資産を交付したときには、その性質は、借入金に対する利子の支払ではなく、常に利益の配当であるとされなければならない。しかして、それが商法に違反してなされたか否かは、その性質に何等の影響を及ぼすものではない。

会社と株主との間に会社事業遂行上の取引(いわゆる損益取引)があり、この取引にもとずき会社から株主に対し会社の資産が交付される場合は、株主たる地位にもとずく取引ではないのでこの資の交付が利益の配当でないことは当然であつて、もちろんこれを除外しなければならないが、かかる損益取引にもとずかないで会社が株主に対しその株主たる地位において会社の資産を無償で交付するときは、減資の手続によつて資本を払戻し、または、残余財産の分配をする場合を除き、すべて利益の配当であるとされなければならない。

会社が利益の配当であることを公称しないで、たとえ謝礼金、優待金、記念品代等の名目の下に株主に会社の資産を交付しても、その表示された名目にかかわらずその実質に着目して利益の配当に該るかどうかを決すべきであり、そして前述のような利益の配当を受けることが株主に本質的なものであるところからみて、当該資産の交付が前記損益取引に該当しない場合である以上、それは利益の配当に外ならないというべきである。すなわち、ある会社資産の株主に対する交付が利益配当の性質をもつかどうかは、その資産の交付がいかなる名目の下に行われたものであるか、あるいはそれにつき会社の経理上いかなる操作がなされているか等の事由によつて左右されるものではないのである。

なお、商法に定める要件に違背した配当のうち、株主平等の原則に違背したものについても、それはやはり利益の配当に外ならないことは、違法配当の故に配当でないといえないことからも明らかなところである。

以上述べたところによつて、株式会社における利益配当とは、商法においても、「株主が株主たる地位において資本の払戻によらず会社資産を会社から交付を受けることをいう。」ものと理解することができ、この概念は、そのまま所得税法上の利益の配当の概念とも一致するのである(ただ、所得税法は、株式会社の利益の配当のみを取り上げて利益の配当といつているのではないので、所得税法上の利益の配当においては、前記の概念の「株主」を「出資者」に、「会社」を「法人」に修正されることとなる)。然るに、原判決は所得税法上の利益の配当を極めて狭義に解し、商法上適法な配当のみがこれに該当するものとし、そのため利益配当の本質を有するものでも商法上要求される諸要件を欠くの故をもつてこれを除外されているのは、所得税法の解釈を誤られたものといわなければならない。

二、原判決は、前述したように、所得税法第九条第一項第二号にいう利益の配当とは、「株式会社が決算期において損益勘定の上純利と認定された額の内から法定準備金等を控除した残額を株主総会の決議を経て株主に対してなす配当を指」すとされながら、後に「法令又は定款所定の手続をかくにしても実体的には手続の不備を補えば、利益の配当たる実を備えている以上その配当利益も所得税法第九条第一項第二号の課税の対象となり得ること勿論であつて、この理は利得が闇利得のような不法な利得であつても課税の対象となり得るのと同様である」と判示される。右の両者は、既に第一点において述べたように、一方において形式を重視しながら、他面これを否定するかの如き実質的見解を示されたもので、前後矛盾しているというほかはないが、その趣意とするところを一応後者をもつて前者を修正されたものと推察しよう。しかし右後者の見解をとるとしてもその概念、特に「利益の配当たる実を備えている」ものかどうかは何を基準に決せらるべきものかについては原判決はこれを明瞭にしていない。すなわち、会社が当該事業年度末において期間計算をなし正当に利益を計上した場合に限り利益の配当があり得ると解されるものであるか、あるいは、期間計算の結果、会社の公表するところは、欠損であつても、利益が隠匿されていてその利益が株主に配分された場合は、利益の配当として理解せんとする趣旨であるか。あるいは、会社自身は期間計算すらこれをしないで会社資産を株主に交付した場合でも、正当に期間計算さえこれを行えば利益が計上される場合は利益の配当に該当するとされるのであるか不明なのである。右に提示した疑問からも明らかなように配当に関連する会社計算は、複雑多様である。会社は時にその資産、負債を不当に評価したり、また不正に取引を記帳したり、記帳しなかつたり、あるいは税法上ないし会計学上益金とすべきものを故意に損金として経理する等のこともあり、常に正当に計算が行われるとはかぎらない。したがつて、ある会社資産の株主への交付が「利益の配当たる実を備える」ものかどうかを当該会社の経理計算がどのように行われているかによつて決するわけにはいかない。さればといつて、その経理計算を適正に修正し直してこれを基礎に判断すべきものとすると、「利益の配当」は、会社の経理内容を調査した後でなければ遂に判明しないことにならざるを得ない。さすれば、利益配当か否かを判断する基準を右の点に求めると、利益の配当をその支払の際において捕促することを旨とする源泉徴収は遂に不能となるにひとしいといわざるを得ない。

翻つて、法人税法の面から損金、益金の意義についてみると、法は「各事業年度の所得は各事業年度の総益金から総損金を控除した金額による」と規定している(法人税法第九条第一項)が、総益金とは「法令に別段の定めのあるもののほか、資本の払込以外において純資産の増加の原因となるべき一切の事実をいい」、総損金とは「法令に別段の定めのあるもののほか、資本の払戻または利益の処分以外において純資産の減少の原因となるべき一切の事実をいう」ものと解されている。

右に明らかにしたように、資本の払込、資本の払戻および利益処分は、会社の損益に関係がないもので、損益に関係のある取引すなわち前述したいわゆる損益取引と区別されなければならないものである。資本の払込、払戻は、資本の移動であつて損益に関係なく、利益の処分は、一種の資本取引としてこれまた損金たり得ないものである。

しかして、前記の資本の移動の場合のほか、損金とならない会社の支出を挙げてみると、(イ)利益の処分たる性質を有する株主に対する利益の配分、会社員に対する賞与、(ロ)特殊な政策目的にもとずいて損金としない交際費、課税技術面から損金性の有無の判定を一定割合をもつて律した寄附金等の限度超過額がある。

原判決は、結局、正当になされた計算によれば利益がでる場合の当該利益の配分を利益の配当であるとされているようであるから、いわゆる蛸配当を所得税法上の利益の配当から除外する趣旨であると思われる。

しかしながら、蛸配当(配当すべき利益がないのになされる違法な配当)も会社の資産が株主に対し交付される場合なのであつて、前述した会社事業遂行上の取引にもとずく会社の支出、すなわち損益取引にもとずく支出ではないから、損金性を有しないものであり、また、前述した資本の払込、払戻に該当しないし、(イ)の会社役員に対する賞与でもなく、(ロ)の交際費ないし寄附金でもないから、残る(イ)の利益の配分に該当するものであることを知ることができる。

このようにみてくると、蛸配当といえども利益の配当に該当するものであり、蛸配当は、会社資本の喰いつぶして配当がなされる場合なのであるから、会社が会社資本を喰いつぶして株主に会社資産を配分しても、それは利益の配当に該当することとなる。すなわち、会社の経営は赤字続きであり、会社の計上する利益は架空であつても、会社が現実に会社資産を株主に交付する限り、それは利益の配当に該当するといつて妨げがないのである。

このような見方に対しては、会社に利益がないのに利益の配当などあり得ないと反対されるかも知れないが、前述したように、会社から株主に対する会社資産の交付は損金支出ではないから、それ自体利益の処分であるといわざるを得ないのみならず、その利益は、会社の当該事業年度における期間計算上は正当には算出されないものではあつても、将来の年度の利益を予想してこれを前払するものとも観念することができるのである。されば期間計算上の利益の存否にかかわらず、蛸配当は利益の配当に外ならないというべきである。

我が国の実際において、会社が一般に公表する貸借対照表に利益を計上して配当を実施し、税務署に提出する貸借対照表に欠損を計上して、法人税の課税所得はない旨を申告する例があり、しかして、調査により右申告が正当であれば、右申告は是認されるのであるが、所得税の面では、株主に交付された配当は、利益の配当として、源泉徴収もなされ、また配当控除をも受けているのであるが、このような取扱は前述したところから明かなように、何ら不当なものではない。

また、ドイツ最高租税裁判所の判例が配当を定義して、「配当とは、会社がその出資者に対してなす、あらゆる金銭価値ある給付であつて、これによつて会社が資本金(払込資本金)を傷けないで、換言すれば、正式の資本の減少をしないで、出資者の利益のために会社財産を減少せしめる場合である」と定義し、この場合に、この出損が会社の益金から成るか、あるいは又、積立金の存在がこの配当を可能ならしめたかどうかは問うところではないと判決し(一九三一年ドイツ最高租税裁判所第一部A第二三九号事件、一九三一年一二月一九日言渡、一九三四年同裁判所第六部A第四四三号事件一九三五年九月一四日言渡)、また他の事件において、配当のなかには、あらゆる種類の配当を包含し、たとえそれが架空利益の配当であつたり、会社が損失のまま営業している場合であつたり、あるいは又違法の利益配当の結果、会社の財産を喰い潰す場合であると否とを問わないと判決し(一九三三年ドイツ最高租税裁判所第六部A、第一九八号事件、一九三四年一一月二〇日言渡判決)、またある他の事件では、将来の利益の前払が会社の純資産を減少せしめ、その結果、配当の返還請求を可能ならしむることになつたことは、現在会社が配当の支払をなすことを妨げるものではないと判決(一九二九年同裁判所第六部A第八〇〇号事件、一九二九年一〇月九日言渡)していることが参考に値するものと思う。我が税法の解釈としても、これと同様に解し、違法配当において、たとえ利益の有無にかかわらず支出されるため、往々にして資本に喰い込んでなされる場合であつても、その故に配当たるの性質を失うものではないと解すべきである。

いまもし、蛸配当は、利益の配当に該らないとすれば、次のような不合理を生ずることになる。すなわち、例えば、会社が架空利益を多額(一千万円)に見積り、その一部に簿外に隠匿した利益(六百万円)を混じて利益の配当をなした場合は、架空利益の中にいくらの隠匿利益が混在するかを峻別して所得税の課税対象となる利益の配当を捕捉しなければならないことになり、ひいては簿外に隠匿した利益(六百万円)についても、所得税法上の利益の配当としては実際上課税できないということになる。しかし、このような配当においても、これを受領した株主は、受領した利益の配当の組成内容を窺知し得べくもないし、また、株主が利益の配当を受領している客観的な事実が存することに着目して課税する所得税法の建前からすれば、それを峻別する必要は毫もないから、かかる見解は、所得税法の趣旨にそわないものといわなければならない。

なお、蛸配当が利益の配当に該るとすれば不合理であるとの批判を受けるとすれば、およそ次の二点からの批判であろう。

(1)  蛸配当の場合は、会社債権者を害するものとして商法第二九〇条第二項の規定等にしたがい株主は違法に配当された額を会社に返還することを要するものであるから、返還義務のある配当は、配当ということはできないという考え方について右の返還義務は、配当が支払われた当座においては、抽象的に存在するに過ぎず、また善意の株主には返還義務がないとの学説もあるのみならず、現実に返還請求が行われる実例は乏しいのであるからこれらにかんがみれば、蛸配当をも配当であるとして課税することが相当であるとしなければならない。また、会社は、蛸配当を実施した事業年度の翌期以後において会社資産の充実を図つたり、配当を抑制したりするものであつて、株主に違法に配当された額の返還が実現しないで長期間を過ぎれば、結局蛸配当は、利益の配当であつたことに帰着するのが通例なのである。すなわち、期間を当該事業年限度に限定しないで、長期間に亘つて眺めれば、蛸配当は、「利益の配当たる実」を備えるものであることが容易に理解されるであろう。

なお、国税当局においては、会社が蛸配当を実施したものであることを後の調査によつて知つたときには、法人税に対する課税処分は、例えば資産の過大評価等を税務計算上否認して、これを修正し、また、株主に対する所得税の課税処分においては、株主が現実に会社に対し先に受けた配当を返還したことを知つたときには、当該課税処分を修正することとしているものであることを附言しておく。

(2)  配当控除制度は、法人税と所得税とが二重課税とならないよう、所得税においてその調整を図ろうとする制度であるが、蛸配当の場合は、法人税は、会社に所得がないものとして課税されないことがあるのに、所得税において蛸配当の場合も配当控除をするのは不合理ではないかとの考え方について

しかし、配当控除制度は、所得税法と法人税法との基本的構造から両税の調整を図るために考案された技術的なもので、あらゆる場合に既納の法人税をそのまま個人の納付すべき所得税から控除しようとするものではないし、またそれが望ましいにしても技術上不可能なことでもある。例えば、各種協同組合等に対する税率は二八%であるが、その他の一般法人の税率は三三%ないし三八%で税率に相違はあるが(法人税法第十七条)、所得税法の配当控除制度を適用するに当つては、ひとしく配当所得金額の二〇%に相当する金額を控除することとし、また、重要物産の製造を営む会社が、法人税を免除されても(法人税法第六条)、会社が株主に対して利益の配当をなした場合には、配当控除の制度を適用しているものであるから、この点における不合理は、蛸配当の場合について止むを得ないものとしなければなるまい。

以上述べたところで明らかなように、所得税法における利益の配当は、それが商法上違法配当であると否とを問わず、会社が期間計算を行つたか否とを問わず、また、会社が正当に計算すれば期間計算上利益を生ずると否とを問わず、会社資産が、正式の減資の手続によらないで株主にその株主たる地位において交付せられる場合をいうものであるとしなければならないから、原判決が会社に期間計算上利益を生じない場合は、所得税法上の利益の配当に該らないかの如く判示されているのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな所得税法の解釈を誤つた違法があるといわなければならない。

三、原判決は、「本件が株式会社のした株主に対する優待金の支払である」ことを認定されている。

しからば、本件優待金の支払は、本来損益取引にもとずく支払に該らず、株式会社のした株主に対する会社の資産の交付であつて、上告人が上来述べたところにしたがい、所得税法上株式会社の利益の配当でなければならないのに、原判決は、本件優待金の支払は、所得税法上の利益の配当に該らないと判示されたのは、法令の適用を誤つた違法があるものというべきである。

第三点原判決が、本件優待金を所得税法上雑所得に該ると解したことは、所得税法の適用を誤つた違法がある。

原判決は、「株主優待金は所得税法第九条第一項第二号に該らないとしても同条同項第十号の所得として課税し得る」と判示し、優待金は所得税法上の雑所得に該ると解している。

しかし、この見解の不当なる所以は、第二点において述べたところおよび配当控除の制度(この制度については、上告人の控訴審において提出した昭和三十四年六月十三日付準備書面参照)からみて、また、本件優待金の支払による所得を雑所得と解したのでは、株主は配当控除を受けることのできない不利益を蒙ることとなる点に鑑みても至極明瞭である。

以上いずれの点よりするも、原判決は違法で破棄せらるべきものと信ずる。

以上

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